グエル公園。トレンカディスの波打つベンチ
午後はサグラダファミリアからラルクドトリオンフまで自分で移動して、再集合です。私はタクシーを利用して5ユーロだったかな。バルセロナの街は一方通行だらけ。何でそっち行くの?って思いがちだけど、仕方ないのよ。
午前と同じガイドさんが待ってました。最初の行き先はグエル公園。ガウディがパトロンのグエルさんのために設計した公園。初めは住宅開発をしようとしたんだけど、何かの理由で出来なくなり公園となったのね。これも未完なのね。まずは無料ゾーン。
高架橋。荒々しい岩で出来てるの。ちょっと落ちて来ないのかなって思うわね。
大昔、何かのコマーシャルがここで撮影されて、日本で有名になったそうです。路上ライブの準備がされていたわ。
樹木をイメージしてます。すごい高級住宅地なのに、半分しか家が建てられるスペースがなく、公共交通手段もないというのが中断の原因。グエルさんの家とガウディの家ともう1軒しかないのね。
ガウディの建築群として世界遺産登録されています。ガウディの作品の中では入場料が安いです。
有料ゾーンのトランカディスの波打つ広場。この下は市場として使うスペースになっていて、上は住民が集まる広場として設計されました。トレンカディスとは、セラミックを細かく砕いて、モザイクにする工法。第一人者はアントニ ガウディです。
カラフルで素敵なモザイクタイル。このベンチに座って写真を撮るのが今回の旅の目的の一つ。すごーく混んでます。
見て。雨どいのような物があるの。いえ、雨どいなの。雨水を下の貯水槽に貯めるようになってるんですって。奇抜なデザインだけじゃないのね。でも、これはガウディの弟子の1人、ジョゼップマリアジョジールが手掛けているの。
バルセロナの街をが一望出来ます。素敵。
下に降りてくると、ローマの神殿?かと思うような柱。ここは市場として使われる予定だったそうです。
所々にデザインされているのは太陽のモチーフ。これも、ジョゼップ マリア ジョジールのもの。ガウディは天体こそが全ての食品の源であると表現しようとしました。
サグラダファミリアのエレベーターに乗る
サグラダファミリアについて書くのは最後。エレベーターになります。エレベーターは受難のファザード側と生誕のファザード側の2箇所。私が申し込んだツアーはエレベーターを、選べませんでした。案内されたのは受難のファザード側でした。時間で予約チケットだったので空いてました。
バルセロナには高い建物が少ないんです。モンジュイックの丘がよく見えるわ。
先端のフルーツのオブジェがよく見えるわ。このフルーツは日本人彫刻家も手掛けているみたい。受難のファザード側は狭いです。バリバリ工事中だし。ま、職人さんも近くで見えちゃうんだけど。
生誕の門側は完成してるし、ガウディ広場がよく見えるみたいよ。
上まで行ったら、帰りは階段。狭いし、次々と人が来るので、そんなに長居は出来ないわね。
階段は少し暗いんだけど、所々に踊り場のような場所があって撮影ポイントになっています。
私的にはそんなに感動はなかったな。聖堂の中に入った時の感動とは比べ物になりません。
ただ、バルセロナの街を上から見下ろせる場所は少ないので、せっかく行ったなら登るべき。ま、無理することはない。
エレベーターで午前のツアーは終了。また、バルセロナ凱旋門に2時間半後に集合。地下の博物館も見学する時間はありました。
でも、バッテリーの残量から写真は我慢。午後もあるから。写真を撮りたくなるような場所ばかりなんだもん。
ランチは一人旅の強い味方カフェでピザを食べました。これは、そんなに美味しくなかった。チーズが多すぎるのよ。それもくせがあって、私には食べにくかった。オープンテラスの席で食べたら 、すごく気持ち良かったわ。なんて贅沢な時間なのかしら。
日本ではランチもささっと食べて、お化粧直して、休憩という感じではないわ。
バルセロナで一番高い場所はサグラダファミリアの工事クレーンの操縦席だそうです。あそこのオペレーターが一番の景色を独り占めするのね。ただ、あそこに行くには、長〜い梯子を登る必要があるらしいわ。日本人の友人にぜひスペインに行きたいと言う人が数名います。帰ったら自慢しなくちゃ。
サグラダファミリア 生誕の門
聖堂の見学をやや駆け足気味で見学の後はついに生誕のファザード。いわゆるサグラダファミリア。
受難のファザード側とはえらく違うわ。こちらは1863年着工で、唯一ガウディが自ら制作指揮したファザードでガウディの作品として世界遺産になっています。ガウディが生きている間に出来たのはこの生誕のファザードと地下聖堂だけです。
受難のファザード側と印象はまるで違います。キリストの誕生から、初めての絶叫までが聴覚で表されています。こっち側も凄い人です。
私のガイドはこの彫刻についての詳しい説明は無かった。
門は3つ。中央門はイエス。右門はマリア、左門は父ヨセフを象徴している。
中央の門の柱の下には変わらないものの象徴として、カメがいます。中央にリンゴをくわえたヘビ、脇にはカメレオンがいるのよね。受胎告知、イエス降臨などもっとゆっくり見たい!
日本人の海外人気海外スポット第3位。1位と2は分かりませんけど。なんとサグラダファミリアには日本人の彫刻家が主任彫刻家として活躍しているんですって。生誕の門の扉などもその1人が作っているらしいわ。ここは未完であることが価値なんじゃないのかな?完成させちゃいけないと思う。
しまった。バッテリーがすでに40%だ。午後もあるからセーブしなくちゃ。となったのがこの辺。生誕の門はあまり見れなくて、ライトアップの時間にまた来ようと決めて、エレベーターに向かいました。建築とか大好き。古い教会大好き!ガウディは事故死だそうで、遺す準備とか出来なかったんだろうなぁ。
ガウディは何を目指したのかな?彼がサグラダファミリアに携わった時、まだ無名だった。この教会にはからの宗教観が反映されてる。そして、彼が宗教にのめり込んでいたのが分かる。
すでに、ガウディの意志から離れた物になってしまっているとは言え、私はここが完成してしまうと考えるとやりきれない気持ちになる。
でも、建築しながら、すでに修繕も始まっているの。そりゃ、そうよね。
サグラダファミリア大聖堂内部
受難のファザード側からお待ちかねの聖堂内部です。前にローマ法王が来たと書いたけど、その時に頑張って内部を完成させてるの。よくやった!現場!
なんかね、第1印象はゴチャゴチャしてるなぁ。だったの。もう少し空間を生かさせば?と素人考え。どうやって写真を撮ろうか?なんせ、人もすごい!平日よー?夏休み終わってるのよー?
でもね、森にいるような、フカイに飲み込まれているような心を奪われる何かがあるのかな。天井はシュロの葉のモチーフ。シュロの葉は殉教のシンボルです
柱はどう見ても樹木。先が枝分かれしてます。
主祭壇には十字架に磔にされたイエス。私が見て来た教会と全然違う!このイエスがあるから教会なんだな、って思うけど。イエスは50個のライトとブドウや麦が装飾されてます。すごい!
素晴らしいのはステンドグラス。バルセロナは他でも美しいステンドグラスやモザイクタイルが使用されているわね。ステンドグラスを通した光が聖堂内部に入り込んで、なんていう美しさ。
自分の目で見るのに忙しくて写真が、おろそかに。この後エレベーターの予約時間があるらしく、ガイドさん急いでます。ここの地下礼拝堂にはガウディが埋葬されているんですね。
写真に撮れなかったけど、主祭壇の手前の柱の上に絵や文字が書かれた部分があるんだけど、福音書を書いた4人のエヴァンゲリストの印なんだって。
世界中のあらゆる言語で書かれた石版。もちろん、日本語もあります。なにが書かれているのかはいつか自分の目で確かめてください。私は信仰を持ちませんがとても興味はあります。ガウディのお墓の上にはマリア像があり、彼はマリアに関する様々な暗号を自分の作品に残したとか。全ての秘密が明らかになるのはサグラダファミリア完成の時だそうです。
でもね、すごく綺麗。今回はツアーに参加したために時間の自由がなくてゆっくり出来なかったけど、また絶対に来ようと思ったわ。
サグラダファミリア 受難のファザード
私がすごく楽しみにしていたサグラダファミリアです。午前の最後の観光地ですね。1日観光と言っても午前と午後と二つのコースを一度に申し込むと、ほんの少し安くしましょうという感じ。サグラダファミリアの周辺は世界中から観光客が集まっていて、とても賑やかです。バルセロナは観光バスが停まっていい場所というのが決められているらしく、歩いて3分程度離れた場所でバスを降りました。初めに案内されるのが有名な手前の公園の池の反対側。ここは写真スポットらしい。
んまぁ、とにかく人だらけよ。
この教会はアントニ ガウディが設計し、1882年に3月19日に建築が始まった未完の建物。昨日、行ったモンセラットの山の石も、使われているみたいよ。ここはアルハンブラ宮殿やプラド美術館より、観光客を集める施設で、私達の見学料などが建築費になっています。2010年にローマ法王がミサを行なって
バシリカになりました。まぁ、ローマ法王が普通の教会よりも格上だって認めたって事。ガウディは詳細な設計図を残していなくて、大型模型などから弟子たちが設計図を起こしたんだけど、内戦で殆どが消失してしまい、現在作り上げているのはガウディのデッサンなどから推測して建築しているため、100%がガウディの構想ではないみたい。
テロがあったばかりのせいか、セキュリティチェックは厳しかったわ。カバンの中身も全て見られた。
私は受難のファザードから見学を始めました。
ここは、最後の晩餐、キリストの磔刑、昇天などが彫刻で表されています。
最後の晩餐→ペテロとローマ兵たち→ユダの接吻と裏切り→鞭打ちの刑→ペテロの否認→イエスの捕縛→ピラトと裁判→十字架を担ぐシモン→ゴルゴタの丘への道を行くイエスとイエスの顔を拭った聖布を持つヴェロニカ→イエスの脇腹を突くことになる槍を持つ騎兵ロンギヌス→賭博をするローマ兵→イエスの磔刑→イエスの埋葬と復活の象徴。すごく分かりやすいわね。ファザードだけで圧倒されてます。昔は完成までに300年と言われていたらしいけど、技術の進歩、財政状況が良くなった事と合わせて、ガウディが死んでから100年後の2026年に完成すると発表されたけど、本当かなぁ?
写真や映像は何度も見たことがあるけど、自分の目となると、すごく素敵よ。あのトウモロコシのような塔でさえ、近くでみると芸術作品に見えるわ。
ここはあまりにも人が多いので、ガイドのしゃべる声が聞こえるイヤホンが渡されます。ガイドさんいて正解。すごく細かい説明をしてくれます。自分の目で見るのでは違う!
これは310通りの足し算が全て33になるという暗号。16の数字が書かれています。33とはイエスの年齢なのね。
ちなみに、サグラダファミリアは2008年に役所に建築の届出が出てないことが発覚したの。つまり違反建築。スペインはサグラダファミリア特別法ってのを作って無理矢理合法にしたんですって。
モンジュイックの丘
朝ごはんは相変わらずのコールドバイキング。
美味しいか?と聞かれたら美味しいとは言えないけど、元々そんなに食べる方ではないので満足です。
今日はバルセロナ1日観光に申し込んであるので、地下鉄で、ラルク ド トリオンフまでは行きます。もう、朝晩はだいぶ涼しい。1枚カーデガンを羽織って行きます。昨日とは変わって40人近く集まっていました。今日は海沿いを走って、まずはモンジュイックの丘に行きました。
ここには丘の頂上付近にお城があり、近辺には美術館が満載で見所がいっぱい。夜になると噴水ショーが人気の大きい噴水や、20年も前にあったオリンピックの競技場があります。
この丘には緑も多くて、海も見える。地中海ってやつかしら?夏の間はほとんど雨が降らないようなので、カラっとしてます。
これが弓を放って火を点けた聖火台。バルセロナは古い建物を莫大なお金を使って、再利用しているの。新しく建てた方が安くても、昔の芸術的な建築物を再利用するんですって。素敵ね。。
街路樹はプラタナスに統一されています。
今回はホテルがここから遠いので、美術館に行ったり出来なかったけど、ぜひまた訪れたい場所です。
マジカ噴水や、モンジュイック城はぜひ訪れたい場所だけど、スリが非常に多いんですって。ランプラス通りは気を付けて大丈夫だった人もここでやられるらしいわ。
バスはこの後車窓からカサ ミラや私が昨日訪れたサンパウ病院を見て、サグラダファミリアに向かいます。
エル コルテ イングレス フードコート
モンセラット観光の解散場所はカタルーニャ広場でした。今回お世話になったガイドさんは、日本人で美術の勉強のためにスペインに留学して、ここが気に入ったので、卒業後戻って来たんですって。スペインに住んでるイタリア人と結婚したけど、すでに離婚してるとか。素敵な女性でした。
カタルーニャ広場で解散後、私はバルセロナで唯一のデパートのエル コルテ イングレスに行きました。デパートと言っても庶民的でここの地下のスーパーは日本人観光客の聖地だそうです。私の目当てもデパ地下。ここはホテルから遠いので、あまり大きな物は買えません。
私は職場の仲間にチュッパチャプスを購入。あのロゴは画家のダリがデザインしたそうです。
日本とそんなに変わらないわね。売り方やディスプレイの仕方が大胆と思わなくもないけど、レストランと違ってスーパーはリーズナブル
このでかいのはハムです。肉類は日本に持ち込めません。すごく買いたかったけど我慢。
バルセロナには他にショッピングモールはあるけどデパートはここ1軒だけ。
私は1人の時の強い味方、フードコートで夕食を済ませることにしました。
日本と変わらない。自分でトレーを持って、食べたい物の前へ行って注文します。
バルのようなコーナーがあるのがスペインよね。こちらの夕食の時間は21時位だって。でもフードコートには、リーズナブルでスペインらしい料理を求めて外国人観光客が大勢集まっていました。
スペイン、最初の夕食は当然パエリア。9ユーロ位。
シーフードの出汁が染み込んでいて美味しい。お米み日本の米と変わらず違和感なしで美味しい。
気に入らないのはグリーンピースが、これでもかという程、入っている所でした。日本で食べるパエリアより、ずーっと美味しい。良かった。パエリアが食べれて。レストランだと2人前から注文出来るみたいだったから、食べれないかなって思っていたの。ヨーロッパではアメックスが使えない場所が多々あるけど、このデパートは使えました。英語も通じました。